プロスポーツの世界で、ルーキーとは新しくその世界に入った選手のことを指します。
プロ野球の世界でも、ドラフト会議により毎年100人近いルーキーが入団します。
プロ野球選手という夢が叶い、背番号のついたプロのユニフォームを初めて身にまとう新入団選手会見はとても初々しいですね。
ルーキーとは、新人であれば最終経歴が中学生・高校生・大学生・社会人のどれであろうとも、すべての人のことを示します。
もちろん、将来性を買われた育成目的の選手もいれば、1年目から即戦力として期待される選手もいます。
今回はプロ野球におけるルーキーとはどのような存在なのか、また、これまで1年目から華々しい成績をおさめたルーキーを紹介します。
プロ野球のルーキーとは初めてプロになった選手の1年目の呼び方
プロ野球では、ルーキーとは、初めてプロとして入団した1年目の選手のことです。
同じ新入団選手でも、他球団からの移籍選手や新外国人選手などはルーキーとは呼びません。
ただ、外国人選手でもプロ経験のない選手はルーキーにあたります。
野球以外でも、新入社員など、その業界の駆け出しの時期はルーキーと呼ばれることもありますね。
なお、新人王は、支配下選手登録5年以内で、投手であれば前年まで一軍登板イニングが30イニング以内、打者であれば前年まで一軍で60打席内が対象者となります。
そのため、必ずしもルーキーが選ばれるとは限りません。
2023年新人王の阪神タイガース村上頌樹は入団3年目の選手でルーキーではありませんでしたが、新人王資格を持っていたため選出されました。
ルーキーでいきなり35勝!日本中を驚かせた権藤博選手
ルーキーとしてこれまで最も活躍した選手は誰だったのでしょうか?
長いプロ野球の歴史においては、何人もの驚くべき記録を残したルーキーが誕生しました。
1961年に社会人のブリヂストンタイヤから中日ドラゴンズに入団した権藤博選手は、ルーキーだった1年目にいきなり35勝をあげます。
さらに防御率1.70、310奪三振、セリーグ新人記録となる32完投を記録します。
シーズン投球回数429回1/3は現在でもセリーグ記録です。
その常識を超えた連投は「権藤、権藤、雨、権藤、雨、雨、権藤、雨、権藤」と揶揄され、まるで雨天中止の日以外はいつも権藤博選手が投げているようだと言われました。
2年目も30勝をあげた権藤博選手でしたが、その過酷な登板で肩を痛め、徐々に低迷。
実年数5年で引退してしまいます。
通算82勝の成績を残しましたが、そのうち半分弱の35勝をルーキーの年にあげたというのは驚きですね。
甲子園のヒーロー清原和博選手が19歳で達成した数々のルーキー記録
ルーキーの記録を語るに欠かせないのが、甲子園のヒーローとして活躍した清原和博選手です。
PL学園時代、甲子園の本塁打記録を打ち立てた清原和博選手は1986年西武ライオンズにドラフト1位で入団します。
一挙一投足が注目されたルーキーの年からその実力を発揮、ファン投票で選出されたオールスターゲームでも本塁打を放つと、一気に波に乗ります。
最終的にはルーキーのシーズン本塁打記録タイとなる31本塁打を放ち、見事に新人王に輝きました。
それまでの新人本塁打記録を持っていた大洋ホエールズ桑田武選手は中央大学から入団した23歳のルーキーでしたが、清原和博選手は弱冠19歳でその記録に並びました。
清原和博選手は、その後21年連続で2桁本塁打を達成、ルーキーの年からの記録としては史上最多となります。
さらに打率.304、78打点も高卒ルーキーの最高記録です。
これほどまでに期待通りの活躍をルーキーの頃から見せた選手はいませんね。
近年、高卒ルーキーは有望選手であっても、無理をさせずじっくりと育てる起用方法が主流です。
清原和博選手のルーキー時代の記録は、しばらくは破られることはないかもしれません。
そのインパクトは史上最強のルーキーの呼び声高い伊藤智仁選手
インパクトという点では、1993年にヤクルトスワローズに入団した伊藤智仁選手でしょうか。
社会人の三菱自動車京都から入団した伊藤智仁選手は、開幕直後から先発投手として起用されます。
150kmを超える速球と、高速スライダーを武器に、投球回をも上回る奪三振を奪い、前半戦だけで7勝2敗、さらに防御率0.91の驚異的な成績を残します。
ルーキー伊藤智仁選手が伝説として語り継がれるようになったのが、6月9日の読売ジャイアンツ戦です。
0対0の緊迫した試合で、先発投手の伊藤智仁選手は9回裏2アウトまでに、セリーグタイ記録となる16奪三振を奪います。
まさに獅子奮迅の投球でしたが、その奪三振記録に並んだ次の打者、篠塚和典選手にサヨナラ本塁打を打たれ、0対1で敗戦投手となります。
マウンド上で呆然と座り込む伊藤智仁選手のその姿は今でも多くのファンの目に焼き付いていることでしょう。
伊藤智仁選手は前半戦の酷使が響き、その後7月の登板を最後に故障で離脱。
規定投球回数には届かなかったものの、そのインパクトの強さからこの年の新人王に輝きました。
今でも伊藤智仁選手のルーキー時代を「史上最高の投手」と呼ぶ人は絶えません。
プロ野球のルーキーとは【まとめ】
今回は、プロ野球にとってルーキーとはどのような存在なのか、その記録などを元に紹介しました。
ルーキーの活躍はチームに新鮮かつ強烈なインパクトを与え、中堅・ベテラン選手の良い刺激となります。
ファンにとっても、応援するチームに新しい若いスターが誕生すると胸躍りますね。
そういう意味では、ルーキーとは、チームだけではなく、プロ野球全体の刺激的な活性剤となる存在ということが言えます。
毎年ドラフト会議が終わると、たくさんのルーキーの中でその後の歴史に名を残すような選手が隠れているかもとワクワクします。
これからも、ファンを驚かせる活躍を見せるルーキーが次々と現れることが、とても楽しみですね。