広島カープのエースピッチャーは誰なのでしょうか。
これまで、多くの名投手を抱えてきた広島カープ。
カープでは、「14」がエースナンバーとして受け継がれてきました。
現在、背番号「14」をつけているのは大瀬良大地選手です。
ドラフト1位で入団して以降、「14」をつけ続けていますが、2020年は右ひじの手術により登板数の少ないシーズンを送りました。
大瀬良選手に代わってエースとして活躍したのは森下暢仁選手でした。
この記事では、広島カープの歴代エースピッチャーの振り返りと、来シーズンのエースピッチャーの予想をしていきます。
広島カープのエースピッチャーは誰?
20世紀の主な歴代エースピッチャー
広島カープで背番号「14」を背負い、エースピッチャーとして活躍した選手は、主に5人います。
まずは、1965年から1979年に活躍した外木場義郎選手です。
1975年には球団史上初のリーグ優勝に貢献しました。
また、2リーグ制以降のプロ野球で、3回のノーヒットノーランを達成した唯一の投手です。
プロ2度目の先発、わずか1四球を与えただけという投球で、プロ初勝利をあげました。
2人目の広島カープのエースピッチャーは、津田恒実選手です。
1985年から1991年まで背番号「14」を背負いました。
1982年に球団初の新人王に輝きました。
しかしながら、2年目の後半以降はルーズショルダーや中指の血行障害などに悩まされ、登板機会が激減しました。
血行障害を治すため、世界初となる中指の靱帯摘出手術を受けます。
1985年に「恒美」から「恒実」へと改名し、1986年に抑え選手として復活しました。
広島カープ5度目のリーグ制覇に大きく貢献し、カムバック賞を獲得しました。
その後もさまざまな活躍を遂げますが、1993年7月20日、脳腫瘍により、32年という短い人生を終えました。
3人目のエースピッチャーとなったのは、1997年から2005年まで活躍した澤﨑俊和選手です。
黒田博樹選手と同じ年のドラフト会議で1位指名を受け、広島カープに入団しました。
1年目の1997年シーズンに新人王を獲得し、3年目の1999年シーズンにはストッパーとして14セーブを挙げました。
しかし、残念なことに、その後は故障に見舞われ、現役を引退してしまいました。
21世紀の主なエースピッチャー
4人目のエースピッチャーとなったのは、篠田純平選手です。
2008年から2013年まで「14」をつけていました。
開幕1軍とはならなかったものの、5月5日に1軍に昇格しました。
制球難により6月6日に2軍落ちしてしまいますが、8月にふたたび1軍に昇格、終盤には先発ローテーションを任されていました。
その後も1軍と2軍、3軍を行ったり来たりする生活を送り、2015年には広島カープからの戦力外通告を受け、現役を引退しました。
篠田選手からエースナンバーを譲られたのが、現在も活躍する5人目のエースピッチャー、大瀬良大地選手です。
2014年から背番号「14」を背負っています。
プロ1年目から開幕後の先発ローテーションに入り、新人王を獲得しました。
2021年には投手キャプテンを務め、また、FA権を取得しましたが、広島カープに残留することを決めました。
2022年シーズンは4年連続となる開幕投手を務めましたが、8勝9敗、防御率4.72と、成績を下げてしまいました。
そんな大瀬良選手に代わって活躍したのが、背番号「18」をつける森下暢仁選手です。
2020年に球団では大瀬良選手以来の新人王を獲得しました。
年俸も4年目で1億円を突破し、5年目で突破した前田健太選手や田中広輔選手を上回って球団史上最速の記録となりました。
「14」がエースナンバーではありますが、これまでの広島カープを見てみると「18」もエースピッチャーにふさわしい背番号だと言えるのではないでしょうか。
2024年の予想
大瀬良選手と森下選手はこれまでと変わらず、素晴らしい投球を見せることでしょう。
エースピッチャーとして、監督からも絶大な信頼を置かれている大瀬良選手が、6年連続の開幕投手となるのではないかと思います。
しかしながら、若手の選手もだんだんと成長を見せており、大瀬良選手にとって代わる選手が現れる可能性もゼロではありません。
不調やケガなくシーズンを終えてほしいです。
広島カープのエースピッチャー【まとめ】
広島カープのエースピッチャーについてまとめてみました。
エースナンバーである背番号「14」を背負ってきた投手は、5人いました。
しかし、「14」でなくとも、素晴らしい投手はたくさんいるため、これからも切磋琢磨して投手陣のレベルの底上げを期待したいです。
来年の開幕投手やエースピッチャーは誰になるのか、目が離せません!