ヤクルトスワローズの大ベテランとなった青木宣親選手。
2005年・2010年には、日本のプロ野球で唯一の2度のシーズン200安打達成。
日本で数々の偉業を成し遂げた後、メジャーリーグに挑戦し、再び日本に戻ってからはヤクルトスワローズを日本一に導く活躍など、そのキャリアは日本人選手の中でも群を抜いています。
チームの中心選手であるキャプテン山田哲人選手や主砲村上宗隆選手をはじめ、若いチームメイトにとっても、青木宣親選手の存在はとても大きいはずですね。
今でもその円熟した打撃技術は健在です。
今回は、もはやヤクルトスワローズのレジェンドと名高い青木宣親選手の、若い頃からの活躍やその全盛期の凄さを紹介します。
青木宣親の若い頃は?
全盛期の早稲田大学で活躍し、数々の栄誉を獲得
青木宣親選手は宮崎県日向市出身です。
宮崎県立日向高校から早稲田大学へ進学。
当時の早稲田大学はまさに全盛期と言っても良いメンバーが揃っていました。
1学年上に和田毅選手、同学年に鳥谷敬選手・比嘉寿光選手・由田慎太郎選手がいて、1学年下には田中浩康選手、2学年下には武内晋一選手・越智大祐選手がいました。
後にプロとしても活躍する選手がひしめいています。
その中で、青木宣親選手は2番打者として早稲田大学初のリーグ戦4連覇に貢献します。
大学時代は首位打者1回、ベストナイン3回、大学通算打率.332の成績を残します。
大学での数々の栄光を胸に、2003年ドラフト会議でヤクルトスワローズに4位で指名され、入団しました。
レギュラーとなった2年目に早くもシーズン200本安打を達成し、大ブレイク
1年目は主に二軍で過ごしましたが、入団2年目の2005年6月頃から1番センターとしてレギュラーの座を射止めます。
その後は早くもその打撃センスを発揮し安打を量産、10月11日にはオリックスブルーウェーブのイチロー選手以来、史上2人目のシーズン200安打を達成しました。
最終的には202安打を放ち最多安打、打率.344で首位打者を獲得。
文句なしでその年の新人王に選出されました。
入団から2年間は1000万円と据え置きだった年俸は、この年の活躍により一気に7倍の推定7000万円までアップしました。
まさに大ブレイクを成し遂げた一年でした。
戦いの場を世界にまで広げた全盛期。史上初の2度目のシーズン200本安打達成
翌2006年には、初めてwbcの日本代表に選ばれ、世界一に貢献しました。
シーズンでも192安打を放ち2年連続の最多安打、そして初の盗塁王も獲得します。
2007年は最多安打こそチームメイトのアレックス・ラミレス選手に穣ったものの、打率.346で首位打者を獲得します。
その後も北京オリンピックの日本代表や、2度目のwbc代表選手を務めるなど、活躍の場は日本だけでなく世界へと広がっていきます。
2009年には4番を任されることも多くなり、5年連続の打率3割をマークし、チームのクライマックス進出に貢献。
この年のシーズンオフに、ミスタースワローズの象徴である背番号1を継承しました。
2010年には1番に定着し、7月にはセリーグ最速記録で通算1000本安打に到達。
最終的に史上初の2度目のシーズン200本安打を達成します。
打率も自己最高の.358をマークし、3度目の首位打者を獲得。
青木宣親選手にとっては、まさにプロ野球選手として全盛期に達した時期でもありました。
メジャーへの挑戦。7球団を渡り歩き、日米通算2000本安打を達成
2011年オフに、ポスティングシステムによりメジャーリーグのミルウォーキー・ブルワーズへ移籍します。
その後は、カンザスシティ・ロイヤルズ、サンフランシスコ・ジャイアンツ、シアトル・マリナーズ、ヒューストン・アストロズ、トロントブルージェイズ、ニューヨーク・メッツと数々のチームを渡り歩きます。
メジャーリーグ移籍後も、その打撃センスをいかんなく発揮し、名バイプレーヤーとしてチームの貴重な戦力となります。
年齢も30代半ばを迎え、体力的にさすがに若い頃と同じようにとはいかず、チームが変わるごとに徐々に成績が下降します。
それでも、そのひたむきなプレイでチームメイトやアメリカのファンからも慕われ続けました。
ヒューストン・アストロズに所属していた2017年には史上7人目となる、記念すべき日米通算2000本安打を達成しました。
ヤクルトスワローズへ復帰後はチームの精神的支柱に。そして涙の日本一
2018年になると「この球団を優勝させることしか考えていない」と力強いコメント共にヤクルトスワローズへ復帰します。
ヤクルトスワローズ復帰後は、入団時の背番号23を背負い、チームの精神的支柱として存在感を示します。
2020年には若き主砲と成長した村上宗隆選手とともにチームを牽引し、衰えることを知らないその打撃を強く印象づけました。
この年のシーズンオフには3年契約・推定年俸10億円で契約を更改しました。
2021年にはヤクルトスワローズはセリーグ優勝。
日本シリーズでオリックスバファローズを破り、念願の日本一を成し遂げました。
プロ18年目、有言実行を成し遂げた青木宣親選手の涙がとても印象的でしたね。
攻・走・守の3拍子がハイレベルで揃った稀代のヒットメーカー
青木宣親選手の凄さは、卓越したバットコントロールとミート力、そして自分の調子に合わせて打撃フォームを調整する柔軟性にあります。
日本のプロ野球・メジャーリーグ通じて様々な打順を任される中で、それぞれの状況にアジャストする能力は、天才的と言えるでしょう。
また、守備においても主に中堅・左翼を担い7度のゴールデングラブ賞を獲得。
2006年には盗塁王も獲得しています。
若い頃に発揮した機動力は年々衰えてはいますが、限られた出場機会で求められる結果を残すその野球センスはさらに円熟味を増しています。
攻・走・守の3拍子がハイレベルで揃った稀代のプレーヤーであることは間違いありませんね。
青木宣親の若い頃【まとめ】
ヤクルトスワローズの大ベテランにして、今でもチームへ強い影響力を示す青木宣親選手。
その若い頃の記録はまさに驚異的な数字が並んでいます。
若い頃から兼ね備えていた持ち前の野球センスとその技術が、メジャーリーグでの多くの経験により熟成され、40歳を越えた現在でも活かされ続けているのは驚きです。
若い選手が台頭し始め、さすがにここ数年は出番が減少していますが、まだまだチームには必要不可欠な存在です。
青木宣親選手が登場する時のファンの大歓声が物語っていますね。
身体をケアしながら、これからもその磨かれ続けた技術をファンに見せて欲しいところです。