スワローズの応援に傘が使われるのはなぜ?意味やタイミング等を解説!

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東京ヤクルトスワローズの応援と言えば、ビニール傘を上下に揺らして東京音頭の大合唱。

スワローズに得点が入ったときや、試合に勝利したタイミングで観客席から一斉に傘の花が開く光景は大迫力です。プロ野球ファンならばヤクルトファンでなくてもご存じのこの応援スタイル。東京ヤクルトスワローズの応援はなぜ傘なのか、またそのアイデアはなぜ生まれたのか。

その理由は「多くの人が一斉に傘を開くことで、少しでもお客さんを多く見せたい」という、不人気球団の一人のファンによる純粋な思いからでした。

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スワローズ応援で傘が使われた理由は観客を多く見せたかったため

東京ヤクルトスワローズの前身は、プロ野球がセ・パ両リーグに分裂した1950年に誕生した「国鉄スワローズ」です。それまでの1リーグ制から2リーグに分かれたことで、プロ野球チームが一気に増えました。

国鉄スワローズは一番最後にできた球団だったため、有望な選手集めに苦労し、成績も長期にわたり低迷します。同じく東京を本拠地とする読売ジャイアンツが全国区の人気を博していた一方で、国鉄スワローズは成績だけでなく観客動員も伸び悩みました。その頃から国鉄スワローズの応援団の一員として活動していたのが、故・岡田正泰さん。

当時のさびしい観客席をなんとか盛り上げたいという思いから「みんなで傘を開く」というアイデアを生み出しました。様々な応援グッズが出回る中でも、なぜ傘にしたのか。それは「どの家にも傘は1本や2本はある、球場に来るときに家から持ってくればよい」という計らいからでした。当時は他にもフライパンなどを使った応援もされていたようです。

しかし、多くの人が使用していた黒の傘では視界がさえぎられてしまうことがわかり、使用するのは「透明のビニール傘」としました。試合が盛り上がるタイミングで多くのファンが傘を開く光景は、岡田さんの狙い通り、まるで球場一杯に多くの客がいるように映り、その華やかな光景がスワローズの応援の名物となりました。

傘の応援とともにチームも躍進、そして念願の初優勝

ファンの懸命な応援もむなしく、なかなか低迷期から抜け出せなかったチームは「国鉄」から「サンケイ」、「ヤクルト」と球団名が変わり、徐々に戦力が整い始めます。そして1978年、ついに念願の初優勝を飾ります。

ファンの「おめでとう!」の言葉は選手だけでなく、当時団長として応援の指揮を執っていた岡田さんにも次々と投げかけられ、感涙にむせぶ岡田さんの姿がテレビに映し出されています。チームやファンを盛り上げるために工夫を凝らし、誰でも気軽に応援に参加できる傘というスタイルを生み出した岡田さんは、ファンだけでなく選手からも「オヤジ」と呼ばれるようになり、長きにわたり愛され続けた人でした。

東京音頭と傘のコラボレーションが令和まで受け継がれる

傘の応援とともに有名な東京音頭の合唱が始まったのはこの時期からです。東京音頭を大合唱しながら傘を上下に躍らせる応援スタイルは昭和から平成、令和と時代が進んだ現在でもいまだに継承されています。

最近では女性や子供も楽しく応援に参加できるように、つば九郎のイラストや人形がデザインされた小さな傘がグッズとして販売されており、球場の軽快なDJに合わせてクルクルと回す応援スタイルも誕生。野球の試合に花を添えています。しかしなんといってもヤクルトの応援といえば「ビニール傘」でしょう。

晴れていようが雨が降ろうが関係なく、ビニール傘を小脇に抱え、球場へ向かう風景はヤクルトファンならではですね。

スワローズの応援に傘が使われるのはなぜ?意味やタイミング等を解説!【まとめ】

東京ヤクルトスワローズの応援にはなぜ傘が使われるのか?その応援スタイルはなぜ生まれたのか?それはお客さんが少なかった愛するチームを少しでも盛り上げるために観客席を華やかにしたいという、一人の熱いファンの思いから生まれたものでした。

時代とともにプロ野球の応援のスタイルも変わってきましたが、岡田さんの思いをつないできたビニール傘の応援は、これからも東京ヤクルトスワローズの応援の名物として受け継がれ続けてほしいですね。

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