プロ野球の選手にとって、背番号は代名詞でもあります。多くのチームで、注目選手にはそのチーム伝統の背番号や、偉大な選手がつけていた背番号が与えられ、その番号にふさわしい大活躍を期待されています。
ヤクルトスワローズ選手の背番号一覧がご覧いただけます。
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スワローズにも、時代とともに受け継がれてきた背番号がいくつもあります。その中で特に印象深い背番号、ミスタースワローズの1・名捕手の27・甲子園のスター11・そしてスワローズの未来を背負う55を紹介します。
ミスタースワローズが受け継ぐ背番号1
スワローズにとって、1は最も大切な背番号です。ミスタースワローズの称号を得た、チーム歴代の中心選手が背負ってきました。1971年に入団、のちに「小さな大打者」と呼ばれた若松勉選手は、入団2年目に背番号1となります。
毎年のように打率3割をマークし、長きにわたりスワローズの顔として活躍しました。1978年スワローズ球団創立初のリーグ優勝・日本一の時にはMVPを獲得。1985年に2000本安打を達成、最終的に通算打率.319という驚異的な数字を残します。その活躍とは裏腹な素朴な人柄からも、ファンに愛され続けた名選手でした。
1992年からは「ブンブン丸」の愛称で親しまれた池山隆寛選手が背番号1を継承。池山選手は主砲広沢克己選手などと共にチームの大躍進に貢献。14年ぶりのリーグ優勝と翌1993年の日本一を手にします。
後年は様々な怪我に苦しみ、2001年には背番号を入団当時の36に戻します。ベテランとなり代打に甘んじながらも、常にベンチでナインを明るく鼓舞する姿が印象的でした。2001年からは若手のホープとして期待されていた岩村明憲選が背番号1を継承。
サードのレギュラーをつかむと長距離砲としての実力が開花、2004年には44本の本塁打を放ちます。2007年にメジャーリーグのタンパベイレイズへ移籍し、2011年に日本球界に復帰。最後はスワローズで入団当時の背番号48を背負い、現役を終えています。2005年にシーズン200本安打を達成した青木宣親選手は、2010年から背番号1を継承。
巧みなバットコントロールで、球界一のヒットメーカーとなります。2012年からはメジャーリーグのミルウォーキーブルワーズへ移籍し、2018年にスワローズに復帰。復帰後は入団当時の背番号23を背負い、現在でもチームに欠かせない名バイプレーヤーとして活躍中です。
そして2016年からは、前年トリプルスリーを達成した山田哲人選手が背番号1を継承。背番号変更の記者会見では、前任者の青木選手がサプライズで登場するなど、スワローズにとっての背番号1の偉大さが感じられました。チームを引っ張るキャプテンとして今シーズンも奮闘する山田選手の背中に、背番号1はとてもよく似合います。
スワローズチームを日本一に導いた名捕手の背中がつなぐ背番号27
優勝するチームには名捕手ありと言われますが、スワローズの栄光は背番号27の捕手とともに受け継がれてきました。1978年スワローズが初優勝・日本一となった年に背番号27を背負っていたのが、司令塔としてエース松岡弘投手などの投手陣をまとめ上げた大矢明彦捕手でした。
1990年には球界一の名捕手、古田敦也選手が入団し、入団1年目から大矢選手がつけていた背番号27を継承。4度の日本一に貢献するなど、スワローズを黄金時代へ導きます。2006年からは背番号27のまま、選手兼監督に就任しています。
そして現在、2021年にチームを日本一に導き、日本シリーズMVPに輝いた中村悠平選手が栄光の背番号27を背負い、翌2022年にはリーグ2連覇を果たしました。受け継がれてきたスワローズの栄光が背番号27とともにあることは、とても感慨深いですね。
高校野球のヒーローがケガと闘いながらも記憶に残る熱投、背番号11
甲子園を沸かせた注目選手が入団時に背負うことの多い背番号11。高校野球界のアイドルとして甲子園で活躍した荒木大輔選手は1983年にドラフト1位でスワローズに入団し、背番号11を背負います。
入団当初は人気先行気味でしたが、徐々に力をつけ、1986年には開幕投手、1987年には初の二桁勝利をマークし、スワローズのエースに成長します。しかし、度重なる怪我でマウンドから遠ざかります。
1992年、スワローズ14年ぶりの優勝の時には感動の復活登板を果たしますが、その後は怪我とリハビリの日々を送ります。1999年に横浜ベイスターズへ移籍し、不完全燃焼のまま翌年引退しました。2008年には甲子園で最速155kmを投じた佐藤由規選手がドラフト1位で入団、背番号11を継承。
「由規」の登録名で、1年目から一軍デビューを果たします。プロの世界でも当時の日本記録161kmをマークし、2010年には12勝をあげるなど、チームの主力投手に成長します。しかし、右肩痛などの怪我に泣かされ、2019年楽天イーグルス移籍後、その翌年に志半ばで引退しています。
そして同じく甲子園のスターからドラフト1位で2020年に入団した奥川恭伸選手が背番号11を継承。1年目二軍で鍛えられた奥川選手は、2年目の2021年には一軍のローテーションに定着し9勝をマーク。日本シリーズでも第1戦の先発を任されるなど、将来のエースとして順調に育ちました。
ところが奥川選手も怪我を抱えることとなり、現在は復活を目指し二軍でリハビリ中です。2023年からは心機一転背番号を18に変更しています。背番号11は多くのチームでエース級の投手が背負う背番号です。
甲子園のヒーローがプロで怪我に泣かされるこのジンクスを抜け出し、背番号11が真のスワローズのエースナンバーとして輝く時代が来ることを願います。
スワローズの新たな時代の幕開けへ、背番号55
現在スワローズの背番号55を背負うのが村上宗隆選手。2022年には日本人最多のシーズン56本塁打、最年少で三冠王を達成し、日本を代表するホームランバッターと成長しました。
スワローズの背番号55はこれまで投手や野手、様々なタイプの選手が受け継いできました。今、村上選手が背負う背番号55は、新たな時代のスワローズを代表する背番号となり、これから受け継がれていくことは間違いありません。スワローズのファンにとっては今からワクワクしますね。
スワローズの栄光ある背番号を受け継いできた歴代の注目選手を紹介!【まとめ】
スワローズを代表する背番号の歴史について、まとめてみました。ここで取り上げることができなかった背番号にも、印象深い背番号が多くあります。スワローズファン一人一人にも、それぞれに思い入れのある背番号があることでしょう。
スワローズは背番号をとても大切にする球団です。これまでのスワローズの歴史を彩ってきた数々の背番号が、未来のスワローズの新しい選手たちにどのように継承されていくのか、とても楽しみですね。