犠牲フライとは、バッターが外野フライを打ち上げ、相手チームの野手がノーバウンドでキャッチしたそのタイミングでランナーがスタートを切り、ホームへ生還するプレーのことです。
送りバントのように、自分がアウトになることでランナーを進め、点が入ることになるため、犠牲フライ、または犠飛と呼ばれます。
監督やファンとしては、ホームランやヒットを期待しつつも、犠牲フライで1点をとれた時には「最低限の仕事をした」というような評価をされることも多いです。
この犠牲フライは、バッターの記録としては打数にはカウントされません。
打数が増えない、ということは、打率にも影響がないことになります。
その他、犠牲フライにまつわる細かな決まりごとがあります。
今回は、犠牲フライについて、その記録の扱い方などを詳しく解説します。
犠牲フライは打数にはカウントされないが、打点は記録される
犠牲フライが成立するのは、ノーアウトまたはワンアウトでバッターが外野フライを打った時、塁上のランナー(主に三塁ランナー)がタッチアップをしてホームに帰った時です。
稀に、相手守備陣の隙をついて二塁ランナーが一気にホームに生還することもあります。
ただその場合、野手が他の塁に無駄な送球をしたり、送球の中で落球や悪送球などのエラーが出た場合は、犠牲フライとは記録されません。
犠牲フライは得点が入った場合のみ成立しますが、その際、犠牲フライを打ったバッターに打点が記録されます。
三塁ランナーがホームでアウトになった場合はもちろんですが、二塁ランナーが三塁へ達しただけでは犠牲フライとはならず、いずれのケースも打数1だけが記録されます。
犠牲フライが成立し、得点が入った場合は、打数にはカウントされません。
そのため、打率も下がることはありません。
一方、出塁率の計算方法は「出塁率=(安打+四死球)÷(打数+四死球+犠飛)」です。
打数と同じく分母に含めるので、出塁率は下がることとなります。
日本のプロ野球で、シーズンの犠牲フライ最多記録は、東映フライヤーズの主砲・大杉勝男選手が記録した15です。
この年、大杉勝男選手は同時に129打点で打点王を獲得しています。
犠牲フライで稼いだ打点が、打点王タイトル獲得に大きく貢献したと言えるでしょう。
犠牲フライで一塁ランナーが生還したのは一度だけ
犠牲フライは、ランナー三塁の場面だけでなく、ランナーが二塁や一塁の場合でも犠牲フライと記録される場合があります。
日本のプロ野球では犠牲フライで一塁ランナーが生還したケースは1度しかありません。
1977年4月29日川崎球場で行われた大洋ホエールズ対阪神タイガースの試合。
大洋の清水透選手が放った外野フライを阪神佐野仙好外野手が捕球しましたが、そのままフェンスに激突します。
意識を失った佐野仙好選手に選手やコーチが駆け寄るその間、一塁ランナーの野口善男選手が一気にホームへ生還します。
阪神タイガース吉田義男監督がボールデッドだと猛抗議するもの認められず、大洋清水透選手には初の一塁ランナー生還による犠牲フライが記録されました。
この時、佐野仙好選手はこのプレーで頭蓋骨陥没骨折という大ケガを負ってしまいます。
当時は、プレー中に守備側に負傷者が出た場合もタイムをかけることはできないというルールでした。
しかし、佐野仙好選手の事故を受けて8月1日に日本野球規則委員会が開かれ、「試合中に選手の生命に関わる負傷が生じた場合は、審判員はタイムを宣告できる」という条文がルールに加えられました。
時は流れ、1985年、21年ぶりのセリーグ優勝で猛虎フィーバーを巻き起こした阪神タイガース。
リーグ優勝を決めた試合は引き分けだったというのは有名な話ですが、1点リードされた10回表、同点としたのは、佐野仙好選手が放った犠牲フライでした
かつての犠牲フライにまつわる大事故を思い起こすと、感慨深いものがありますね。
犠牲フライは打数にカウントされない?その記録について解説!【まとめ】
今回は犠牲フライによる細かな記録の扱い方について、解説しました。
犠牲フライは、打ったバッターに打点が記録されますが、打数にはカウントされません。
打数が増えないということは打率も下がることもありません。
1点を争うような緊迫した試合では、ノーアウトまたはワンアウトランナー三塁の場面での犠牲フライは、とても貴重は得点となります。
ただ、そのシチュエーションは限られた状況であることが求められます。
そういった意味でも、犠牲フライは地味ながらも、重みのある記録であるとも言えますね。