プロ野球で貧乏球団と金持ち球団と言われるチームはどこ?

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プロ野球はセリーグとパリーグ合わせて12球団です。

各球団には親会社があり、その経営状況は様々です。

金持ち球団や貧乏球団と揶揄され、その経済的な面によって、有望選手の獲得やFAなどに大きな影響が出ることがあります。

日本でよく知られている金持ち球団は、読売ジャイアンツや福岡ソフトバンクホークスがあげられます。

この2つの球団は、毎年シーズンオフには必ずと言って良いほどFA選手の移籍先候補にあがります。

一方で貧乏球団と言われてしまう球団は、FAなどの選手獲得のためのマネーゲームに参戦できず、自前の選手の育成や、他球団を戦力外になった選手の再生などに力を注ぎます。

戦略面でこれだけの差があると、なんとなく不公平感がありますね。

それだけではなく、金持ち球団と貧乏球団とでは、球団運営において様々な差が見られます。

今回はかつてプロ野球に存在した貧乏球団と呼ばれたチームの数々のエピソードを紹介します。

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プロ野球で貧乏球団と金持ち球団と言われるチームはどこ?

2023年、平均年俸が一番高いチームは巨人、一番低いチームは北海道日本ハム

現代のプロ野球の事情について調べてみました。

2023年シーズンの年俸平均額のランキングでは、1位が読売ジャイアンツの3807万円、2位が福岡ソフトバンクホークスの6763万円と、予想通りの上位でした。

最下位は北海度日本ハムファイターズの2569万円です。

これは、例えばチーム全体が若手中心の構成になっているなどの影響があり、必ずしも貧乏球団とは言えません。

しかし、上位のチームに関しては、FA選手を獲得するため年俸が跳ね上がることもあり、それらが反映されます。

なお、2023年最高推定年俸は福岡ソフトバンクホークスのロベルト・オスナ選手の6億5000万円です。

金持ち球団は資金が豊富なことで、選手の年俸を大幅に上げたり、選手獲得のため金銭的により良い条件を提示できます。

FA移籍先で毎回同じ球団名があがるのは、こういった資金面の影響が大きいからですね。

資金難で消滅寸前、市民の団結で生き残った創成期の広島カープ

かつてのプロ野球では、今では信じられないような状況で球団運営していたケースもありました。

プロ野球がセリーグとパリーグに分裂した1950年に誕生した広島カープ。

親会社を持たない、広島市民の球団として生まれた広島カープは、設立後早速資金難に見舞われます。

加盟金の支払いも遅れ、選手の給与も支払えなくなった広島カープ、1年目は当然苦戦し、最下位に沈みます。

シーズンオフには球団の解散や大洋ホエールズとの合併など検討されました。

当時の石本秀一監督はチーム存在のため、地元の中学校で紅白戦を行ったり、地元企業を回り資金調達に奔走します。

その悲愴な姿勢が広島市民の共感と団結を生み、資金が集まり始めます。

球場前に置かれた樽で募金を募る、有名な樽募金もこの頃始まります。

こういった地道な努力が報われ、なんとか設立2年目も球団を存続することができました。

現在、球場が真っ赤に染まる程の人気球団となった広島東洋カープですが、このような不遇の時代があったことは驚きです。

南海ホークスの度を越えた経費削減はプロ野球球団としてはあり得ない!?

南海ホークスは12回のリーグ優勝をはたすなど、昭和のパリーグの強豪として一時代を築きました。

しかし、親会社は球団にあまりお金をかけず、その強さに反し選手の待遇もあまり良くはありませんでした。

特に1970年代後半から長い低迷期に入ると、その劣悪ぶりは度を増します。

有名なエピソードとしては、

・球場の浴室の石鹸は選手個人で用意

・選手一人に支給される食費が500円

・ユニフォームは選手の自宅で洗濯

・選手寮の破損個所をベニヤ板で治す

など、今では信じられない状況でした。

当時の主砲門田博光選手がキャンプ中にアキレス腱断裂の大けがを負った際、担架が用意されていなかったため、戸板に乗せて運んだということもありました。

経費削減とは簡単に言いますが、正直プロ野球を運営する組織としてはかなり杜撰な対応ではないでしょうか。

このような状況の中では戦力も低下、観客動員も減少の一途をたどり、1989年に南海は球団をダイエーに売却します。

貧乏球団と言われた球団から突如金持ち球団ダイエーに変わったことで、選手の処遇も大幅に改善され、1999年には日本一に輝きます。

選手からも移籍拒否!?球団名が変わるたび貧乏になる福岡時代のライオンズ

南海ホークスと毎年パリーグの覇権を争っていた西鉄ライオンズですが、1969年にプロ野球界を震撼させた八百長事件「黒い霧」が起きます。

主力選手が相次いで処分され成績も低迷、球団も経営難に陥ります。

西鉄は球団を当時ロッテオリオンズオーナーだった中村長芳氏に売却し、太平洋クラブライオンズとなります。

ところがスポンサーとなった太平洋クラブ自体も経営難となり、スポンサー料も滞ります。

1977年からクラウンライターガスが新たにスポンサーとなりますが、球団経営も完全に行き詰ります。

・練習用の球は他球団の使用済みの球を拾い集めて使った

・ナイター後の夕食代は1000円のみ(クラウンライター時代にはそれも廃止)

・選手の移動は特急やグリーン車を使えず、球団から運賃を渡され、普通車での移動

など、とてもプロ野球チームとは思えない環境でした。

この頃、中日ドラゴンズの藤波行雄選手はクラウンライターライオンズへのトレードが決まりましたが、引退をもちらつかせ頑なに移籍を拒否します。

移籍先が当時極限の貧乏球団だったクラウンライターライオンズだったというのも少なからず影響したと言われました。

結局移籍話は消滅し、藤波行雄選手は中日ドラゴンズに残留、後味の悪い結末となりました。

クラウンライターライオンズは1979年に国土計画(西武)に売却され、それが1980年代以降の西武ライオンズ黄金時代へとつながっていきます。

外国人選手がアメリカに帰ってしまうほどの貧乏球団近鉄バファローズ

2004年に勃発したプロ野球再編問題、そのきっかけが近鉄バファローズとオリックスブルーウェーブの合併でした。

近鉄バファローズは久しく経営難で、それは選手個々への処遇にも影響します。

1984年に入団したメジャーリーガー、ドン・マネー選手は、日本での生活環境があまりにも劣悪だったため、5月には退団してしまいます。

来日前に後楽園球場の読売ジャイアンツ戦をテレビで見たドン・マネー選手は、その歴然とした格差に唖然としたようです。

球団が用意したマンションは手狭で汚く、ゴキブリも頻繁に出てきたそうです。

ロッカールームは、まるで爆弾が落ちた後のような状態だったと後に語っています。

期待外れの外国人と言われたドン・マネー選手ですが、メジャーリーガーを受け入れる心構えに欠けた球団の姿勢があまりにも問題だったと言えるでしょう。

皮肉にも、金持ち球団読売ジャイアンツと、貧乏球団近鉄バファローズの対比がアメリカにも伝わってしまったエピソードでした。

プロ野球の貧乏球団と金持ち球団とは?【まとめ】

昭和のプロ野球では、球団によってメディアの扱いやファンの人気など、多くの格差が見られました。

それでも、それぞれの球団が苦難の時代を乗り越えて黄金時代を築いています。

今ではその格差も薄れ、どの球場でもファンの熱気にあふれています。

親会社である企業の経営状況が、選手の処遇やプレーに影響が及ぶことはファンとしては悲しいことです。

球団を運営することはお金もかかり、大変なことには違いありませんが、選手への処遇改善や、プレー環境を整備することで、また新たなスターを生み出すこととなります。

企業も経営努力を惜しむことなく、選手が安心して野球に取り組めるよう努めて欲しいと心から願います。

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